両翼のブログ

できるだけ公平に読み、考えていきたいと思っています。自分は右翼でも左翼でもないと思っています。そもそも右左どうのこうのという類は実にくだらなく、意味のない喧嘩にしか思えません。翼は両方あって初めて飛べるのです。

象徴という宗教

国旗を汚すな、敬え!とネットで叫ぶ人達を見ていて、ふとどうしてここまで
国旗というもので、争いが起きるのか考えてみた。
日本人にとって国旗とは何だろう。私は一部のいわゆる右翼と呼ばれてしまう日本人達にとって国旗はある意味宗教のようなものだと考えてる。
彼らにとって国旗は命より大切なものであり、違う言葉で置き換えるなら誇りそのものだ。例えば、戦時中、敵に奪われたなら、死を覚悟しても取り返すのが当然と考える。
しかし、冷静に考えてみれば、奪われた事で、
どういう損失があるというのか?白旗に赤い丸を書けばそれは完成する。
作ろうと思えばすぐ作れる。敵に利用されるから?騙す為にだったら、いちいち奪ったのを使わなくても、敵国で作ればいい。白旗に赤丸で完成する。
旗はしょせん、布地に模様だけのものでしかない。それに命と等価の価値を見出せるだろうか。
右翼と呼ばれてしまう人達にこういう質問をするとしよう
「ある国に旗を奪われた。取り返すと戦争になり、下手をすると日本国民全てが玉砕する
。取り返すか。違う旗を買ってきて据え置くか。」
全ての右翼ではないが、全国民が全滅してでも取り返せ!という答えが出てくるのが、
右翼と呼ばれる人たちだ。もちろん、今、平和なこの世の中では、口だけの人もいるだろうが、昔なら本気で全滅してでも取り返せと言う人がいたと思う。
日本とは何だ?人がいてこそ日本ではないのか?国旗や天皇。象徴的なものに、
平和も命も平気で天秤にかけるような右翼こそが、本当の反日であり、本当の売国奴だ。
日本人の命をかえりみれない人達こそ、同胞を何とも思わない人達こそ、日本人の真の敵だ。
どこかのサイトでも書いてあった気がしたが、この宗教的な価値観は、結局のところ、
天皇がなくなる事でしか決着がつかないと確かに思う。旗というものに、命よりも重い象徴を見出すような考えを刷り込む種が、天皇という存在にあるからだと思う。天皇を政治利用するなと言う人がいるが、存在する限り種は消えない。ただの人間・ただの旗。それを、下手をすれば国民全ての命を秤にかけようとする異常な考えを生む種になる。私はそう断言する。きちんとケジメをつけなければ、また芽吹く。最近まで、日本が右翼化したとさんざん内外で騒いだが、その内容が特権だとか在日が日本を支配しているだとか、狂っていた事に説明はいらない。今が平和で良かった。この狂気に駆り出されて戦争になれば、また過去の二の舞になるのは明白だ。